2015-11-30

敬語でも危険!無意識に上から目線の印象を与えてしまう恐怖

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日本語における敬語は意外とデリケートです。

「ですます」をつけることによって、使う側が変に安心してしまう
時があるからです。

単純に「ですます」をつければ敬いの態度を出せると考えていると、
少々危険です。

本人はていねいな言葉づかいを選択しているつもりでも、
受け取る側が「エラそうやな」という印象を抱いてしまうこともあります。
せっかく敬語を使っているのに、それではもったいないです。

「ラ抜き言葉は日本語としてイカン!」とか、そういうことを
言いたいのではありません。

敬語として言葉を発した時に、「自分はちゃんと『ですます』をつけてるからいいや」
ではなくて、受け取り手がどのような印象を抱くかという、
伝わり方のニュアンスもセットで想像すると、コミュニケーションの質が
高まります。

たとえば、「いいんじゃないすか(ですか)」も、受け取り手が上から目線に感じてしまう
言葉のひとつです。

 

1.意外と上から目線に感じられてしまう言葉「いいんじゃないすか」

サラリーマン時代に、とある後輩に仕事の内容について質問した時のことです。

私はその領域が初めてで、まだわからないことだらけの状態でした。
その領域については”先輩”になる後輩に、立場的には先輩である私が質問した、
というシチュエーションです。

私「これってデータ分けといた方がいいんかなあ?」
後輩「3つにしといたらいいんじゃないすか」

他人事かっ!
投げやりかっ!
誰の視点やねんっ!
なんでちょっと怒ってんねんっ!
俺が何か悪いことしたか?

これが、私が直後に抱いた正直な感想です。

もともと不遜な態度で有名な後輩でした。
こちらは教えてもらう立場なのでガマンしましたが、シンプルにカチンときました。

上記のセリフを言った時の後輩の所作は、細かくは以下の感じです。

●低い声でボソボソとつぶやくように
●目線はパソコンを向いたまま外さない(質問者の私は後輩の顔を見ている)
●イスにちょっとふんぞり返って座っている(でも体は微動だにせず)
●「いいんじゃないすか」の「か」がほんのり疑問形の発音
●なぜかちょっと口をとがらせていた

好感度ダダ下がりの状態です。

 

2.形骸化した「ですます」は敬語ではない

後輩はおそらく、相手をカチンとさせている自覚はありません。
自分はちゃんと敬語で話していると思っていることでしょう。
それどころか、「ちゃんとアドバイスできるエライ後輩」と自分で
思っている可能性もあります。

お気づきのように、「ですます」が形だけになっている典型例です。
「いいんじゃないすか」を「いいんじゃないですか」に変えれば解決するわけでも
ありません。

形だけどころか、むしろマイナスになっています。
ボディペインティングで鎧の絵を体に描いて、戦に臨んでいるようなものです。
全く武装できていません。
矢が飛んできたら即死です。

敬語の怖さは、ここにあります。
受け取り手としては、後輩に「3つにしとけば?」という言い方をされているのと
ほぼ変わりません。
先輩からではなく、後輩からです。

せっかくの「ですます」が、いつのまにか「ただのエラそうな奴」という印象に
成り下がってしまっています。

友達に対して適当に答えているのではないのです。
これがクライアント(顧客)相手だったらと思うと、ゾッとします。

基本的に敬語を使うのは、自分より相手が同格以上と判断している場合です。
無意識に上から目線の印象を与えてしまうほど怖いことはありません。

 

3.言葉の選択

解決策のひとつは、単純に使う言葉の選択を間違えないことです。

今回の例で言うと、「いいんじゃないすか」の代わりに、シンプルに「3つに分けるのが
いいと思います」とか「3つに分けるのがよさそうですね」とかで充分です。
自分の経験に照らし合わせて、「僕は3つに分けるようにしていました」でもいいです。

誰視点でのセリフなのかを明らかにするということです。
自分も一体となって質問に向き合っているかが伝わるかどうかです。
「いいんじゃないすか」では、伝わりません。

「3つにしといたらいいんじゃないすか」は、そのあとに(まっ、僕には関係ないですけどね)
という心の奥底の声が見え隠れしています。
突き放した推定系の表現は、コミュニケーションの放棄です。
結果、上から目線に感じられます。

私は後輩に質問しているのです。
「マニュアルに何と書いてあるか」と聞いているのではありません。

 

4.ニュアンスは顔と体も使って伝える

言い方の問題もあります。

不機嫌そうに面倒くさそうに答えれば、「何かエラそう」=「上から目線」
という印象を与えるのは自然のなりゆきです。
たとえ正しい敬語だったとしてもです。
声のトーンを1段階上げるだけでも、印象は変わります。

もしかしたら、後輩が顔も体もこっちを向いて、口もとがらせずに
「いいんじゃないすか」と言っていたなら、私の”カチン”も多少は
和らいでいたかもしれません。

生身同士の会話でのコミュニケーションは、対面して威力を発揮します。
顔や体を相手に向けることは、「コミュニケーションに参加しますよ」という
合図になります。

合気道のように、相手から向かってきた力をサラッと受け流すスタンスでは、
一方通行になってしまいます。

顔を相手に向けるということは、表情を使うことができるということです。
質問に答える際に、ムスッとした能面みたいな表情と、軽く笑顔なのとでは
どちらの方が相手が安心するでしょうか。

笑顔じゃなくても、眉毛とまぶたをほんの少しだけ上に上げて
表情をやわらかくすることもできます。

大切なのは、コミュニケーションにセリフだけで参加しないという姿勢です。
形だけ「ですます」の敬語に甘んじると、思わぬ落とし穴にハマります。

言葉の選択と合わせて、相手のコミュニケーションテリトリーに
顔ごと体ごとフワッと入っていくことが、上から目線のイヤな感じを
消し去る第一歩です。

この1件で、コミュニケーションの恐ろしさを垣間見ることができました。

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